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この本について最後に一言。明らかに伝記的な部分が少なからずあるが、この本は彼の伝記ではない。 自伝を書いたらどうか、あるいは「公認の」誰か他人に書かせてはどうかといった類いの誘いには、ギブソンは首を縦に振らない。(毎年映画が出る度に儲かるかもしれないという理由で彼の頭越しにこの手のバカげた企画が飛び交っている)と同時に、大スターになってから出版されたおびただしい数の「非公式」本については、いっさい我関せずという姿勢を貫き通している。彼はたとえ映画スターといえど幾分かのプライバシーは尊重されるべきだと信じ、自分と家族がおかされないために非常な努力を払っている。そして彼の考えはこうだ。彼について知る必要、あるいは知る権利があると思われるなら、一番重要なことはスクリーン上に歴然と現れているものを見ることだと。 そういうわけでゴシップが目当てなら他の本を当たってもらおう。このThe Films Of Mel Gibsonはあくまでも彼がスクリーン上とディレクターズチェアで成したことにスポットをあてている。とはいえその映画の多くは彼そのものを言及してるだけでなく、その人柄・思想・感情などを自然に映し出しているのは明らかでその独特なポートレートを無視するわけにはいかない。これも彼が成していることだ。これらを踏まえた上で、さて、考察に入って行こう。 ****************************************** <<イントロダクション>> 1995年度アカデミー賞授賞式で、彼の叙事詩大作ブレイブハ−トに作品・監督賞のオスカーが与えられたことは、かつてピ−プル誌によって表面だけをあげつらっての「現存する一番セクシーな男」という称号をもらったこの国際的なスーパースター、メル・ギブソンを見る我々の視点に、新しい方向づけを知らしめる事になった。 大看板にあげられるその名が、まずほとんどその映画の成功を保証できるような数少ない俳優の一人としてだけではもはや満足せず、この現在40をちょっと過ぎたアメリカ生まれでオーストラリア育ちのスターは、カメラの前に立つのと同じくらいの時間をカメラの後ろに回ることにその身を捧げた - 「すべての」ショットを自分自身のものと呼ぶために。 このことは彼の信望をさらに確固たるものにし、その進む道を通りやすくする強烈なヒットをこの業界に打ったことになる。そうして1本につき法外とも言える2000万ドルプラス何がしかのサラリーを受け取る資格と国際的な人気をさらにものにした、ほんの一握りの選ばれた俳優の一人になった。 その存在をはっきり世に知らしめたオーストラリア産カルト映画「マッドマックス」で、あの独特な声は何とそのオ−ジ−訛りのせいでアメリカ人には「たぶんチンプンカンプン」という理由を付けられ、配給元によって吹き替えられてしまったというスタートを切った役者にしては、現在のステータスは悪くない。そしてこうも言える。もしベトナム戦争がなければ、さらに70年代から80年代にかけてのオーストラリア映画の爆発的な発展がなかったら、彼の名は生まれ故郷のアメリカでは決して聞かれることはなかったかもしれない(つまりいい時にいい場所にいたということだ)。 ******* |