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*訳注:

ミニマリスト
芸術においてできる限り少数の単純な要素を用いて最大の効果を達成させる考えの持ち主。最小限妥協主義、最小限綱領主義。

マキシマリスト
もともとの意味はロシア革命時のボルシェビキを指した。一般的には妥協を排して最大限の要求をする人の事をいう。過激主義、最大限綱領主義。
その辛らつな回顧録Adventures In The Screen Tradeの中で、偉大な脚本家のウィリアム・ゴ−ルドマンは野心あるライター達にこう助言している。以下に述べるハリウッドに根付いているルールを命がけで無視せよ、と。そのルールとは「スター達は欠点のある役をあまりやりたがらないし、自分の名声や美しさに傷をつけるようなこともやりたがらない」そしてこうも書いている。「私の言わんとすることはすぐに分かるだろう」
もしこれがルールなら(と同時に、たいていのスターがそうなのだが)メル・ギブソンに関係した脚本家達 - ゴ−ルドマンその人のようなベテランから「ブレイブハート」のランダル・ウォレスのような新人まで - は同じように等しく、そのルールを敢えて無視したり注意を傾けるといった余計な苦労から解放されている。なぜならここに素晴らしい理由がある;ギブソンもこのルールなぞに無頓着なのだから。実際彼はそのキャリアのほとんどを、欠点や汚れや傷だらけの人物を演じることで過ごして来た。その偏向とも言える傾向はもっとも初期の役柄にさえ遡ることができるのだ。

クリント・イ−ストウッドのそれとギブソンのキャリアには何がしかの共通点がある。もっとも二人の演技スタイルには両極端とも言える違いがあるが(ミニマリスト的*クリント対マキシマリスト的メル)。
ギブソンの場合、役柄を選ぶに当たっては常に一貫してそのスター性の殻を打ち破り、またイ−ストウッドの伝記作家リチャ−ド・シケルいうところの "観客の応援や支持をせいいっぱい活かす" ことによりその存在感をアピールして来た。二人とも大スターになる遥か以前に既に、活かすに足るファンの支持を得てそれをさらに伸ばすことに挑むという傾向を、役柄を選ぶ上での支配的な要素の一つにしたようにも見える。
例えばそれぞれが演じた容赦ない殺人者(セルジオ・レオ−ネの低予算マカロニウエスタン「荒野の用心棒」におけるクリントの"名前のない男"、ジョ−ジ・ミラーのレオ−ネ作品への低予算オマ−ジュ映画でのメルの"マックス")、あらゆるハンデ、あらゆる敵に対して戦う殺人者のアンチヒ−ロ−的な言動は、観客に熱狂的に愛されこれらをして二人がスターダムへの道を歩み出したのはいうまでもない。
ずいぶん後になって、クリントは荒っぽいお巡りを演じ「ダ−ティ・ハリ−」シリーズを有名にしたし、メルはメルで自暴自虐的な刑事役で「リーサル・ウェポン」シリーズに大金をもたらした。後に二人とも監督業に乗り出すことになる。共通点はまだまだ出て来るかもしれない。

さらにここに特筆すべきテーマが浮かび上がって来る。メル・ギブソンの映画には顕著な一貫性があるのだ - 出演したものはもちろんクレジットに名前こそ出ることはなかったが、彼が大事に暖めた企画の数々にも。
つまり彼が役や脚本を選ぶ時、決して行き当たりばったり的な優柔不断さがない。まだ選択できる立場にないような極く初期のヒヨッコの頃ですらそうだった。その結果彼の企画はおのずと彼を求めた。
これらのテーマには、成長過程での苦しみや責任・義務といったものと折り合っていくことの難しさ、それを乗り越えて成熟の域に達する - トラブルやトラブルのネタは、大人になっても止まることがない事をギブソンは一人の男であると同様一人の俳優としてよく承知している。そのテーマは一番最初の「私的プロジェクト」といっていい「メル・ギブソンの青春グラフィティ」の中に既に存在している。この本で順次明らかにしていくようにさらに多くの興味深いテーマが、この俳優が企画の立案のみならず、脚本家や監督として一人前に肩を並べることができるということを示していくはずだ。

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