![]() The Passionは反ユダヤ的のみならず反カトリック的な意図をもって作られているのではなかろうかという批判に対してのメルからのお返しが火曜日に初めて公式に発表された。 Carinyaの横からお節介.....メルはカトリックである。じゃなぜ反カトリック的なんて思われたのか。ここが説明がめんどくさいところで、早い話が正統的(何が正統かは知らないが)カトリックから見ると異端だと言う事らしい。今何世紀だっけ(^^) 自分と同じやり方をやってないと快く思わない人がいるのは聖なる信仰の世界でも例外ではないらしい。 「ここではっきりさせよう。僕自身もこの映画も反ユダヤ主義的ではない」 この言葉で始まる声明は主にアメリカカトリック司教会議に叩き付けられたものだ。司教達は配下の学者達があろうことか、インターネット上で違法に手に入れたこの映画の初期のスクリプト読んで、まだ完成もしてない映画を性急に批評しようとしたことをこのほど正式に謝罪した。 メルとIconは、同様の経過を経て未完成の映画に対しやはり修正を求めて来たユダヤ教徒側のADL(Anti-Defamation League)とも現在話し合いをしている。 「The Passionは誰かを槍玉にあげるためにひらめきを得て作られた映画じゃない」声明は続く。 「僕の意図するところは永遠に残る芸術的な作品を創造しフィルムに焼きつける事と、異なった信条を持つ観客にこのストーリーをそれぞれの異なった考え方でいいから真摯に考えてもらおうと言う事だ」 Carinyaの横からお節介.....この二つ目のメルの意図はこういう事じゃないかと思う。つまり、イエスをあなたがどうとらえようと、例えばあなたにとって神にも等しい存在か、神そのものか、あるいは歴史に現れその言葉と生き方で多くの人を感動させた一人の人間ととるか、あるいはその存在をすら疑ったっていい....あなたの自由だ。考えた事はあなたのもので、それはきっと真摯な思考から生まれるだろうという事なんだと思う。 なぜ聖職者達がこんな行動を? 3月に発行されたNew York Timesマガジンに載ったメルの父親の宗教観を人々が読んでからで、それによるとこの伝統主義的カトリック教徒の人物は現在のバチカンの方針にことごとくたてついているという。それを表した著書もある。また反ユダヤ的だと思われるふしがあるというのだ。 結局、この記事を根拠にユダヤ教とカトリックの学者達は連携して、論理を勝手に飛躍させ結論としてその人物の息子であるメル・ギブソンが作るイエスの映画はおそらくユダヤ人を攻撃する事になり両宗教双方にとってマイナスであるとして、公にこの映画とメルに対して修正を要求しはじめた。まだ誰も見てない映画に対して! Carinyaの横からお節介....これを読んで私は、この映画を書いて監督してるのは実はメルじゃなくメルのお父さんだったのか! と一瞬真面目に考えたくらいだ。しかしお笑いだ。え、一体全体なんでこのような突飛な根拠でまじめに未公開の映画を批評できるのか理解しがたい。親子といえど同一じゃないってことくらい分かりそうなものなのに。それにだいたいギブソンシニアが記事の通りの人物だっていう確実な証拠もない。 「もし僕の過去25年間のキャリアを真剣に綿密調査して、ちょっとでも誰かに対して人種や宗教による迫害や差別をした事実が現れるなら、今からすっぱり改心する事に余生を捧げるつもりだ。だがそんな記録も記憶もない」と声明にある。 写真:今年1月放映のFoxニュースインタビュー時のメル NEXT |