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本当に多くの人々が彼のことを大好きなのだ。観客はもちろんプロデュ−サ−達(彼は大ヒットを打ち立てられる数少ない俳優の一人)監督達、そして共演者達も。彼等はこの俳優を称賛するチャンスがあれば決して逃さない。 こんな栄誉がもたらされたのはつい最近のこと。十分な分け前に預かる事ができるスターの身分を味わうのは、もっぱらLethal Weaponの驚異的な大成功からこっちのことでほんの3年前だ。 11人の子だくさん一家の6番目としてニューヨーク州で生まれたが、12歳の時アメリカを離れ世界のもう一つの果てオーストラリアに移り住む。父親の決断によるもので、このいささか過激で熱心なカトリック教徒(教会と法王の政策に対して論議を生んだいくつかの本を執筆している)は子供達に、厳しいと同時に自由で寛大な教育と躾を施した。 <<ある日親父が言った言葉は決して忘れない。「人生に退屈する事は罪だ」>> この言葉はしばしばギブソンの口に上る。 1979年国立の演劇学校を卒業して間もなく、Mad Maxを共に作る事になるジョ−ジ・ミラーと出会う。のちに世界中のあらゆる国でカルト的映画になる近未来のロ−ドム−ヴィ−....大成功とはいえなかったアメリカを除いて。 最小限の台詞でギブソンはこの時既に、その磁力のような存在感を多くの人に認めさせ、この役の持つある種の難しさと共に他の要素、例えば人間味、威厳、信憑性といった必要な特徴までも自然に生み出す域に達していた。 2年ほどたって彼は別のオーストラリア人の演出家と出会う。のちにDead Poet Society [今を生きる]を作ったピーター・ウィアーだ。彼とまずgallipoli[誓い]を撮り終えた後、Mad Max2を間に挟み、A Year of Living Dangerously [危険な年]で再会。Maxシリーズとは異なるジャンルに置かれるこれらの作品でウィアーはギブソンに、彼の魅力を形作る事になる愛すべき陽気さと男の誠実さが混じりあった特質を引き出すチャンスを与えた。 やがて彼はオーストラリアでは誰ひとり知らぬ者のないくらいの人気俳優となるが、まだハリウッドを虜にするには至らなかった。そのオーストラリア訛りのせいである。ハンサムなナイスガイとはいえハリウッドは真剣に取り上げなかった。 それでも1984年アメリカのプロデューサーがthe Bounty [バウンティ:愛と反乱の航海]のちょっと珍しいリメイク版の主役を彼にオファ−する。その中で彼は輝いていたが、映画は中クラスの凡作に留まった。オーストラリアへ一旦戻って作ったMad Max3作目はアメリカでも素晴らしい反応を勝ち取り、ひいてはリチャード・ドナーをしてLethal Weaponのヒーロー役にと彼を指名するきっかけにもなった。これは1987年夏の超目玉ヒットとなる。
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