メル・ギブソン

メル・ギブソンの評価、評判、レビュー

メル・ギブソン(映画監督、俳優/略称:メルギブ)の評価、評判、レビューです。メル・ギブソンはオーストラリア人です。代表作、プロフィール、アカデミー賞などの受賞歴。若い頃から現在まで。「ハクソー・リッジ」「パッション」「ブレイブハート」「マッドマックス」「リーサルウェポン」「サイン」など。(キネヨコ 戸川利郎)

マッドマックスの伝説的な俳優

メル・ギブソンといえば、俳優としては何といっても映画「マッドマックス」と続編「マッドマックス2」の主役でしょう。

監督としてはアカデミー賞に輝いた「ブレイブハート」が代表作です。 2010年代の「ハクソー・リッジ」も高い評価を得ました。 宇多丸さんは「アポカリプト」も絶賛していました。

メルギブ映画ランキング

米IMDBの観客レビュー平均点

順位 作品名
ハクソー・リッジ
リーサルウェポン
マッドマックス2
ブレイブハート
ワンス・アンド・フォーエバー(2002年、主演)
誓い(1981年、オーストラリア映画、主演)
パトリオット(2000年、主演)
パッション(2004年、監督)
アポカリプト(2006年、監督)
10 リーサル・ウェポン2(1989年、主演)


戦場の現実を示す メル・ギブソン監督の「ハクソー・リッジ」 沖縄の激戦地 米軍衛生兵の活躍と「影」

2017年6月16日、西日本新聞

メル・ギブソンが10年ぶりにメガホン

メル・ギブソンが10年ぶりにメガホンを取り、2017年の米アカデミー賞で編集賞と録音賞を受賞した「ハクソー・リッジ」。太平洋戦争の沖縄戦において3週間続いた「前田高地」攻防戦で75人の命を救った実在の米軍衛生兵デズモンド・ドスが主人公だ。信仰上の理由から武器を持つことを拒否したドスの「勇気」をたたえる作品だが、それよりも戦場のむごたらしさと狂気が生々しく描き出されているのが印象的だ。

志願兵ドス

ドスは志願兵。前半は妻との出会いや入隊しての訓練、銃を持つことを拒否する彼と周囲との軋轢(あつれき)などが描かれる。人を殺す武器を持つことが信仰上許されないのなら、なぜ戦争=殺し合いの場に兵として行くことを自ら申し出たのか。「パールハーバー」をその理由に挙げるが、いまひとつその真意は分かりづらい。

作品のメインは後半

作品のメインは後半だ。日本軍の頑強な抵抗に遭い、米軍は彼らが言うところのハクソー・リッジ(前田高地)を攻略できない。崖をよじ登って攻撃を仕掛けるが、死傷者の山をつくり、撤退を余儀なくされる。その中でドスは1人高地に残り、負傷者を救い出す。日本兵を助けるシーンも出てくるが、基本的には米兵の救出だ。

克明に描かれる戦争の実態

目を奪われるのはドスの勇気よりも克明に描かれる戦争の実態だ。猛烈な弾薬の煙で視界が不十分な戦場、ネズミが群がる遺体、下半身が吹き飛んだ味方の体を盾にして前進する兵、火炎放射で燃え上がる兵、至近距離で遭遇した敵とナイフを使って感情をむき出しに殺し合う兵…。

戦場の生々しさが印象的

「敵」の命を奪えという命令に従い、人間は人間でなくなっていく。多くの作品でこのテーマが訴えられてきたが、「ハクソー・リッジ」では戦場の生々しさ、殺りくの現場が描かれているだけにより強烈に印象づけられる。

沖縄の民間人が出てこない

気になるのは沖縄の民間人が出てこない点だ。ドスの部隊が民家を仮の拠点としようとするシーンもあるが、住人はいない。沖縄戦では多くの非戦闘員にも被害が出たはずなのだが…。そしてもう1つ。衛生兵は戦争があってこそ活躍するということが見落としがちになってしまう点。1番の英雄的行為は、ドスのようなヒーローが生まれる事態、戦争そのものを避けることのはずなのだが…。

公開日は2017年6月24日

沖縄平和祈念公園にある「平和の礎」には沖縄戦で命を落とした24万人の名前が国籍に関係なく刻まれている。ドスが救えなかった人の名前も当然そこにはあるだろう。公開日は2017年6月24日。くしくも組織的戦闘が終結したことにちなみ沖縄県で「慰霊の日」となっている6月23日の翌日だ。英雄物語としてではなく、戦争の事実を知り不戦を考える物語としてこの作品を見るのもいい。

沖縄戦で貫いた、反戦の魂 「ハクソー・リッジ」メル・ギブソン監督

2017年6月16日、朝日新聞

第2次大戦末期の沖縄戦で、武器を持たずに多くの兵士を救った実在の衛生兵を描く「ハクソー・リッジ」が2017年6月24日、公開される。10年ぶりに監督としてメガホンをとったメル・ギブソンは、米ロサンゼルスでの取材に「地獄の中で、敵味方関係なく救い続けた男の勇気と魂を描きたかった」と語った。

主人公デズモンド・ドス

バージニア州に生まれた主人公のデズモンド・ドスは、信仰心から「命を奪うのではなく、救うために戦いたい」と1942年に陸軍に入隊。軍法会議にかけられながらも武器に触れることを拒否し、衛生兵として沖縄戦の戦闘に参加した。75人の負傷者を救出したとして名誉勲章を受け、戦後は家具職人に。2006年、87歳で亡くなった。

戦闘の舞台は前田高地

戦闘の舞台は、沖縄本島の最激戦地とされる「前田高地」。のこぎり(ハクソー)で切ったような約150メートルの崖(リッジ)から、米軍がこう呼んで恐れたという。断崖頂上の争奪戦は6回に及び、塹壕(ざんごう)に立てこもる日本兵との戦闘は白兵戦となった。

壮絶で生々しい戦争の恐ろしさ

作品の戦闘場面では肉片が飛び散り、火炎放射器で火だるまになる日本兵など、壮絶で生々しい描写が続く。この作品を「反戦映画だ」とするギブソンは、「戦争の残酷さをリアルに描くことで、戦争の恐ろしさを感じてもらいたかった」と語る。激しい爆発が繰り返されるシーンも、CGを極力使わずに撮影した。

殺さなければ、殺される

「殺さなければ、殺される」という過酷な戦場。そこに進んで身を投じながら、武器の携行を拒否するデズモンド。この「非常に特別な存在」(ギブソン)に共感し、物語を現実味のあるものとして受け取ってもらうためには、戦闘や風景、人物を細部まで再現し、できるだけ現実に近づけるしかない、と考えたという。

戦場に咲く一輪の花

戦場では、実際にデズモンドが日本兵を救助したケースもあったという。「彼の魂は、戦場に咲く一輪の花のようだった」とギブソン。作品では日本兵についても敬意をもって描いたといい、日本兵役の役者やエキストラには「自分たちの土地を敵が侵略しているんだ」と演技指導をしたという。「この作品が単なる戦争映画ではなく、日本人、特に沖縄の人々にとっても癒やしになれば」と語る。

戦争を繰り返さないでほしい

戦後、デズモンドは映画化の話が持ち上がるたびに拒んできたというが、亡くなる数年前、ハクソー・リッジのプロデューサーに承諾を与えた。最初の脚本がギブソンに届いたのは2002年。前作「アポカリプト」から10年ぶりとなる監督作品は、2017年の米アカデミー賞で、録音賞など2部門を受賞した。「二度とばかげた戦争を繰り返さないでほしい。戦争は、人間を動物のレベルにおとしめてしまうものだから」

メル・ギブソン監督、キリスト描いた「パッション」 公開前に議論白熱

2004年2月24日、産経新聞

賛成、教会が劇場を借り上げ/反対、「反ユダヤ主義あおる」

敬虔(けいけん)なカトリック教徒のメル・ギブソン監督が巨費を投じ、イエス・キリスト処刑までの12時間を描いた米映画「パッション」が、2004年2月25日の北米公開(日本は5月)を前に話題をさらっている。ギブソンの宗派が超保守的とされていることから反ユダヤ主義をあおるとの批判が出る一方、宗教関係者への試写を繰り返して理解を求めた結果、教会が信徒に見せるため劇場を借り上げるといった「特異現象」まで起きている。

2500万ドルの私財をつぎ込んで製作

「パッション」は、熱心なカトリック信者のギブソンが12年間温めてきた構想に戻づいている。費用捻出のために2500万ドル(約27億5000万円)の私財をつぎ込んで製作した。

発表当初は厳しい見方が多数

せりふは1世紀当時にパレスチナで使われていた古語のラテン語とアラム語という徹底ぶりで、2002年秋に発表された際には、「興行的に成り立たない。彼の自己満足的な作品になる」という厳しい見方が多かった。

反ユダヤ主義をあおる懸念

製作開始以降、ギブソンの宗派が超保守的とされる「伝統主義」であることを受けて、ユダヤ人の描写が新たな宗教的対立を招き、反ユダヤ主義をあおる懸念があるといった批判が強まった。

幅広く試写会などを実施

ギブソン側は2003年夏の作品完成後、キリスト教関係者らを対象に幅広く試写会などを実施。「ユダヤ人の迫害ではなく、人間の罪深さを描いた作品」とアピールした。

その結果、口コミで理解も急速に広がり、メディアの関心も急上昇。

教会も信徒の鑑賞を後押し

信徒の鑑賞を後押しする教会も全米レベルで相次ぎ、数1000枚の前売りチケットを押さえたり、劇場ごと借り上げたり、映画に広告を出すところもあるという。

宗教がテーマの映画としては異例の2000館で公開

米国では宗教がテーマの映画としては異例の2000館で公開されるこの作品。ハリウッドでは「ギブソンは過去誰もなし得なかった、教会という市場を開いた」との見方も出ているが、「どんな興行収入になるのか読めない」という専門家も多く、今から公開後の客足が注視されている。

シネマ/キリスト受難体感/ギブソン監督壮大な試み/パッション

2004年6月13日、宮崎日日新聞

観客がショック死。ユダヤ教団体が非難声明。殺人犯が悔い改めて自首。

世界中で激しい賛否を巻き起こしたメル・ギブソン監督の問題作「パッション」。キリスト最後の12時間を真正面から描いた歴史大作を前にしたとき、宗教的背景の乏しい日本人はどう反応すれば良いのだろうか。

あえて説明するまでもない物語

あえて説明するまでもない物語。ユダの裏切りによって捕らえられたキリストが重い十字架を背負い、ゴルゴダの丘で両手両足をくぎ打ちされて息絶える。そして…。

観客をぐいぐいと追い込む

正直なところ「キリストを殺したのは誰か」的な宗教論争についての判断はしかねる。その代わりに観客をぐいぐいと追い込むのは、どこまでも残酷な虐待の数々だ。

びょうの付いたむちで、体の前から後ろから打たれ続け、飛び散る鮮血。頭にはイバラの冠がぎりぎりと押し込まれ、柔らかそうな手足に太いくぎがガンガンと打ち込まれていく。

そんな凄惨(せいさん)なシーンを延々と目の当たりにしているうちに「ああ、2000年前の虐待は実際こんな感じだったんだろうな」と思う。

「リアル感」こそが映画の狙い

この「リアル感」こそが映画の狙いだ。キリストの受難を現代人に体感させようとしたギブソンの壮大な試みは、ある意味成功しており、興味本位ではない真剣な姿勢は伝わってくる。

疑問が残るキリストの苦難

だが、なぜキリストがこんな目に遭ってまで苦難に耐えるのか、なぜ群集は傷だらけのキリストをどうしても処刑したいのか、いまひとつ分からない。

その部分はキリスト教信者には当たり前のことかもしれない。だが、ごく一般的な日本人がこの映画を見終わった時、「救い」や「癒やし」ではなく、暴力描写だけが後に残ることになってしまわないだろうか。2時間7分。

上映情報

「パッション」は2004年6月19日から、宮崎市の宮崎セントラル会館で上映。

“野性児”メル・ギブソン 「オスカー」にチャレンジ 「ブレイブハート」で3役

1995年10月14日、産経新聞

1979年、オーストラリアの新人俳優が国際舞台に躍り出た。やがて彼はハリウッドに渡ってアクションスターの地位を確立したが、それに飽き足らずに監督業にも進出した。そして新作「ブレイブハート」(1995年10月14日公開)では製作・監督・主演の3役をやってのけ、オスカーも夢ではなくなった。メル・ギブソン、39歳。愛すべき“野性児”のチャレンジ人生を出演作とともに振り返る。

1分1秒までも価値あるものだった

「この映画を撮るのに一切の妥協はしなかったし、6カ月の撮影期間は1分1秒までも価値あるものだった。やり遂げた今は、もう自分が何でもできるような気がしているよ」

「ブレイブハート」が第8回東京国際映画祭のオープニング作品に選ばれ、6度目の来日を果たしたメルはこう自負した。自ら率いる製作会社アイコン・プロダクションの一大プロジェクト、しかも1人3役を無事こなしただけに、表情も明るい。

監督としての非凡な才能

13世紀末、自由を勝ちとるためにイングランドと戦ったスコットランドの実在の英雄、ウィリアム・ウォレスの波乱に富んだ生涯を描いている。上映時間は3時間にも及ぶが、2000人を超すエキストラを動員した戦闘シーン1つとっても、監督としての非凡な才能を感じさせる。

心の深い部分に訴えかける作品

「権力者によって自由を奪われた弱者が、怒りに燃えて立ち上がる。心の深い部分に訴えかける作品です。自由というものの大切さを知ってほしい。現代人はそれが当たり前だと思っているから」と製作の動機を語る。

アカデミー賞候補の呼び声も高い

監督兼俳優の大先輩、クリント・イーストウッドの「マディソン郡の橋」と並んで早くもアカデミー賞候補の呼び声も高いが、「賞をとるために作ったんではないけど、1つや2つぐらいもらってもいいかな」と、まんざらでもなさそうだ。

メル・ギブソンの生い立ち

1956年、ニューヨークに生まれた。12歳の時に一家でオーストラリアに移住。厳格なカトリック信者の父親は飲酒や喫煙を認めず、家にはテレビさえも置かなかったという。そんな父に反発するように酒とケンカに明け暮れたが、シドニー国立演劇学校への入学が人生を大きく変えた。

「姉が勝手に応募してしまったんだけど、俳優になるのも悪くないかなと思ってね。在学中は猛勉強した。結局、卒業できたのは14人。それでも仕事にありつくのは大変なんだから、ボクは本当にラッキーだったと思うよ」

1978年に映画デビュー、スターの仲間入り

1978年に映画デビュー、2作目の「マッドマックス」でその名は一躍世界に知れわたった。1984年には「ザ・リバー」でハリウッド進出を果たし、「リーサル・ウェポン」シリーズも大ヒット。マネーメイキング・スターの仲間入りもした。まさに順風満帆。ここまできたら後は無難なキャリアを築いてもよさそうなものだが、「たまたまこの世界に入って、いつの間にかある程度の名声も手に入れてしまった。でも、名声なんてものは、ありのままの自分でいられなくなるだけで、うんざりする」という。

映画にのめり込み監督の道へ

さらに、「そんなものより、映画がどんどん好きになっていったんだ。アクションスターに甘んじたくなかったのも、俳優としていろんな人間を演じたかったから。監督に進出したのも、映画にのめり込んだ結果だったんだ」と話す。

「顔のない天使」で監督に初挑戦

1993年にアイコン・プロダクションを設立し、「顔のない天使」で監督に初挑戦した。事故で顔に大やけどを負った男と孤独な少年との交流を描いた地味な作品だったが、手堅い演出を見せている。文芸作品の「ハムレット」で新境地を開拓したと思ったら、「マーヴェリック」ではジョディ・フォスター相手にコミカルな演技も披露した。

大きな子供みたいな人

そのジョディは彼を「大きな子供みたいな人」と称したが、「それは当たっている。編集作業の時なんて、もうオモチャを前にした子供と同じさ」。

「野性児」たるゆえん

気どりのなさでスタッフやキャストのウケもいいが、ストレートな言動がフェミニストや同性愛者たちの反感をかったこともある。もっとも、少しも意に介さないのが“野性児”たるゆえんだ。

6人の子供

無名のころ知り合った元看護助手のロビン夫人との間に、6人の子供がいる。ケビン・コスナー、リチャード・ギアらライバルたちが女性問題で人気を下げているのを横目に、子供たちのためにディズニー・アニメ「ポカホンタス」の声優も引き受けた。

スティーブ・マクエビーティ氏から見るメル・ギブソン

「ブレイブハート」で製作総指揮をとったスティーブ・マクエビーティ氏は、「メルの映画に対する愛情と熱意が、今回のビッグプロジェクトを成功させた。ワイルドさとナイーブさを併せ持ったウィリアム・ウォレスは、メル自身でもあるのだ」と話す。

次回作

次回作はロン・ハワード監督のスリラー「ランサム(身代金)」で、ほかにフランソワ・トリュフォー監督「華氏451」のリメークや「マーヴェリック2」、さらにはトルストイ原作「アンナ・カレーニナ」を映画化する構想もあるという。

いつも何かにチャレンジしていたい

「今、20近い企画を抱えている。いつも何かにチャレンジしていたいからね。なぜって、漫然と生きていたら、人生なんてあまりにも短すぎるじゃないか」。この快進撃、まだまだ続きそうだ。

「ブレイブハート」のメル・ギブソンに聞く(第8回東京国際映画祭)

1995年9月28日、朝日新聞

東京国際映画祭のオープニング作品として上映

民族の自由と名誉のために戦ったスコットランドの英雄の生涯を描いた映画「ブレイブハート」が、東京国際映画祭のオープニング作品として上映された。それに合わせて、製作・監督・主演のメル・ギブソンが来日した。 スケールの大きな物語を、1人3役で作り上げたギブソンに、映画への思いなどを聞いた。

実在の英雄を熱演

舞台は13世紀末、スコットランド。イングランドに支配され、人々はその圧政に苦しんでいた。ギブソンが演じたウィリアム・ウォレスは、少年時代にイングランド人に家族を皆殺しにされ、長じて、抵抗軍を組織し、解放と自由を求める戦いを繰り広げた英雄。実在の人物だ。

だれにも共感を持って受け入れてもらえる人物

ギブソンは、ランダル・ウォレスが初めて書いた、この映画シナリオを読み、非常に気に入ったという。自身はアイルランド系。ニューヨーク生まれでオーストラリア育ちだが、「ウィリアム・ウォレスは、スコットランドに限らず、世界のどの民族にもいる英雄。だから、だれにも共感を持って受け入れてもらえる人物だと思う」という。

監督兼主演

約3時間の歴史大作。2000人のエキストラを使った合戦など、大がかりな場面も多い。監督兼主演は重荷では?

交通整理をする巡査のような存在

「助けてくれる人がたくさんいるから、私は交通整理をする巡査のような存在でしたよ」と笑う。「自分の中では監督と俳優は競合しない。作品全体が見渡せる立場にいることで、いい思いつきをすぐに実行でき、やりやすい点も多い」

両軍がぶつかる戦闘シーンが圧巻

やり、弓矢、刀などの武器でスコットランド、イングランドの両軍がぶつかる戦闘シーンが圧巻。血が流れ、手足が飛び……とリアルに描写されている。

正直な戦争

「撮影現場を見ていても、残酷だなと感じた。一方で、これが『正直な戦争』だという気もした。機械兵器が人間を支配する現代の戦争の方が、ずっと怖いではないか」

15年前に見たベトナム戦争

ギブソンの心には、15年ほど前に見た、オーストラリアのカメラマンによるベトナム戦争の記録が、今も強く焼き付いているという。

戦争の現実をできるだけリアルな描写で

「目をそむけたくなる光景で、まさに地獄絵。でも、それが戦争の現実なんだ。だから、この映画では戦争をなるべく美化しないで、恐ろしさをそのまま描こうと思った。観客が逃げ出さない程度に、できるだけリアルな描写を心掛けた」

ドラマ性も豊か

一方で、イングランド皇太子妃(ソフィー・マルソー)とのロマンスなど、ドラマ性も豊か。「スケールの大きな話だからといって、物語の細部が犠牲になるようなのは避けたかったから」という。

フランスの核実験への反対を表明

日本の前にキャンペーンで訪れたヨーロッパで、フランスの核実験への反対を表明し、話題になった。

「自分のできる範囲で発言した。1995年9月27日、フランスから芸術関係の賞を贈るという話があったけれど、それも断った。故郷のオーストラリアは実験場所に近い。実験がどんな危険をもたらすか、だれにも予測できないでしょう。フランス国民だって、多数の人が実験に反対している。それなのに、政府が実験を強行する。そこが理解できません」

公開情報

公開は1995年10月14日から。